@article{oai:dcu.repo.nii.ac.jp:00000610, author = {鈴木, 文治}, issue = {13}, journal = {田園調布学園大学紀要, Bulletin of Den-en Chofu University}, month = {Mar}, note = {キリスト教の福音宣教とは,神の裁きと救い,支配と栄光を告知することである。これに与る者は,自分自身の生活を以てイエスに対応していくことが求められている。「父が私を遣わしたように,私もあなたがたを遣わす。」(ヨハネ伝20 章21 節) 福音の宣教は,人の内的・外的な捕らわれからの解放を知らせるものである。だから喜びの訪れと呼ばれている。だが,キリスト教の歴史においては,この福音宣教が様々に解釈され,時には全く別の顔を現すときもあった。キリスト者である皇帝や十字軍は異教の民族を征服し,彼らに洗礼を強制させた。白色民族は,アフリカやアジアの人々を「キリスト教文明」へと征服させて,植民地支配を打ち立てた。伝道の道は,血と涙に,搾取と奴隷売買に結びついた。それはイエスの福音ではなく,それを騙った権力の道であった。このような過去を良心の重荷として覚えなくてはならない。 一方で,キリスト教における社会福祉の取組は,原始教会においても明確に現れている。 キリスト教の「隣人愛」や「博愛主義」による貧民救済や,慈善活動としての「施し」は,キリスト教が世界に進出していく過程においても,重要な取組として評価されている。 実際に,福祉や障害児教育の分野にしても,その出発点は中世の修道院であったことが歴史的に明らかにされている。 日本においても,明治になってキリスト教会が貧民救済の福祉活動や教育の先陣を切ったことは周知の通りである。戦後,カトリックの上智大学やプロテスタントの明治学院大学に社会福祉学科が設置され,福祉の専門家養成が開始された。キリスト教の「奉仕」の精神が,社会福祉の根底にあると信じたからである。その後,福祉の根底に奉仕が位置づけられないまま,多くの大学に社会福祉学科が次々と誕生した。 だが,キリスト教の社会福祉への関わりは,元来は宣教にその目的があった。日本のミッションスクールが設置されたのは,キリスト教信徒の若者の教育と同時に,未信者への宣教がその目的であった。 私がこの論文で取り上げるテーマは,キリスト教における福音宣教と社会福祉の接点を探ることである。元来,キリスト教は福音宣教を最大の目標と掲げている。同時に,「他者への奉仕」として社会福祉活動に取り組んできた。この両者の関係性はどのようなものなのか。更に言えば,インクルージョンの視点からこの両者の相克をどう理解するのかということである。}, pages = {13--51}, title = {<研究論文>キリスト教におけるインクルージョン研究IV:福音宣教と社会福祉の相克}, year = {2019} }